観た映画を吐き出した煙の様に漂い散っていく思い

犬よ

ペットなんて飼うもんじゃない。投稿が空いてしまった事は申し訳ない。

 

先日、実家にいる父からLINEが届いた。「クゥ(犬の名前)もうダメかも。」実家で飼っている犬は一昨年の11月にアポってしまって、そこから歩行が不自由になり、認知症になってしまった。目も見えなくなり、物に当たりながら歩く様はほとんどゾンビと変わりがなかった。そんな状態だから、なるべく仕事が休みの日は東京から実家の千葉まで帰っていた。もしかしたら次来る時は、そんな気持ちで毎回いたから驚きはしなかった。ただ、帰ってみれば、昔の小説の様に、主人公が「チチキトク」との電報で帰ってみれば何食わぬ顔で元気にいる父にがっかりしたみたいな展開を想像したが、現実はそうはいかなかった。もう自分で寝返りも打てず、水すら飲まないでいた。「あぁ、限界か」と悟った。強い犬だった。

 

飼うきっかけは、俺が小学6年生の春。母親の友達の家で子犬が産まれたから貰ってくれる人がいないかと我が家に相談された事から始まった。皆んな知らないと思うが、いや、知らなくて当然なのだが、俺はコーギーが好きだ。あの短い足、スッーと伸びた鼻、つぶらな瞳全部がかわいい。だからこそ、飼いたくてしょうがなかった俺は中々承諾しない親に小6ながら、デパートの階段で泣きまくるという作戦を使って親を困らせて、飼う事になった。

飼う前に兄弟がいるからとどの子を引き取るか観に行った。みにいって分かった。この子だと。一際デカかった。デカ過ぎた。サイズが一匹だけ桁違いで生命感が違った。この子にしようと決めて、もう少し大きくなってからと数ヶ月後引き取った。

うちに来てからあいつはとにかく元気だった。家の玄関は齧ってボロボロにするし、庭では走り回るし、地面を掘りすぎて植えてた花はダメになった。一応、家の中で飼っていたが、庭に出してやると喜んでいたので、日中は出すことが多かった。ただ、通行人に吠えまくるのは勘弁して欲しかった。通行人すまんね。けど、うちの犬を殴ったジジィは今でも許さん。吠えてしまったのは悪いが鈍器で殴るな。ケロッと忘れて元気にしてたけど、怪我がしばらく治らんかったぞ。子犬なのに成犬の柴犬に喧嘩売って怪我したりとちょくちょく怪我してたけど、まぁ大きな病気もせず育っていったよ。一昨年の11月まではな。

 

11月にアポっていたと父が一昨年の年末に俺が実家に帰った時に漏らした。嘘だろ?聞いてないって、だからこんな体が曲がってまっすぐ歩けてないのか??昔は脂肪も少しのっていて、医者からもデブデブ言われる様な子だったのにガリガリになってしまって、別の犬様になっていた。父曰く、アポった時はずっと痙攣していて、飯を1週間くらい食おうとしないから直接口に手を突っ込んで、チュールをぶち込んでいたらしい。それから少しずつ回復して、もりもりご飯食べてるようになったと。やっぱり強い犬だと思った。いや、強い犬だよ!!目がまだ生きるよって力強かったもの。

 

そんな状態で、1年以上生きてたけど、とうとうその時が来た。実家に帰った次の日の朝、あいつの夜泣きで起きて、見に行ったら心臓の鼓動が弱まり、呼吸が大きくなっていた。それでもずっと泣き続けていた。撫でても泣き止まず、あと少しの命を悟り父親を起こした。徐々に低下していく体温、大きくなっていく呼吸、最後には吠える力すら失っていった。そして、心臓の鼓動がほとんどなくなり、大きくなった呼吸は必死に酸素を入れようと全身を曲げて吸う様になり、数分後には呼吸が止まった。止まった瞬間、目から正気がフッと抜けるのが分かった。ああ死んだんだ。死んでしまったんだ。涙が止まらなかった。呼吸が苦しかった。今までありがとう。うちの家に来てくれてありがとう。いっぱいいっぱいありがとう。感謝が止まらなかった。死に立ち会えてよかったと思う。滅多に泣かない父が最後に犬を抱いて「ありがとう」と泣いた事は死ぬまで忘れないと思う。

 

だからこそ、俺はペットなんて2度と飼うものか、ペットなんて臭いし、高いし、散歩には行かなきゃいけないし、死んだ時が悲しすぎる。くそ、なんでこんな別れをしなければいけないんだ。恋人との別れに耐えられても死に別れを耐えられる訳がない。だから、どうか将来出来る我が子よ。ペットを飼いたいなんて言わないでくれ、俺より先に死んでいく奴をもう見たくない。

 

クゥが死んでからセカチューを観た。恋人なんてつくるもんじゃない。